asppe_dr’s blog

私のアスペ的体験を開き直るための記録です。-yahoo blog閉鎖に伴い移転しました-

思い出の風景

 子供の頃の行動を思い出すと、いろいろとおかしなものがある。
 今だったら絶対しないような行動を、当時は他に選択肢がないかのように思い込んで選んでいた。その頑なさは強迫的だったとまで言えるかも知れない。両親もこんな子供を持ってさぞかし困っただろうと、今になってつくづく思う。

 昨日夢を見た。大きな池の風景だ。ここは何度か登場した池で、今までは家からそこに向かう道程を夢に見るということが多かった。小さな防波堤のようなコンクリートの壁から飛び降りるその道は、下を流れる排水溝にはまらないように細心の注意を要するけども、一番冒険心を満たされるお気に入りのルートだ。ただしいつも何かに追い立てられているけれど。

 ところが昨日の夢はいきなり池の風景からだった。眼前には山の窪みに溜まった巨大な水溜りのように大きく広がる池と、ちらほらと釣りをする子供たちがいた。実際に小学校の頃に休日のたびに通っていた池だなと、一目で分かった。
 当時、私は地図を見て手当たり次第に池を探し、自転車で走り回って近隣の池をすべて見て回ったからだ。ここで近隣とは片道1時間くらいをいう。そうやって探した池のうち、釣りができそうなものをチェックしては次の休日に友達を誘って釣りに行っていた。
次第に手軽に行ける住宅地の中の溜め池のようなところでは物足りなくなり、以前からチェックしていたもう少し遠くの大きな池に挑戦したのが、その池を初めて知った馴れ初めである。
 山あいに入っていく道のりは単純ではなかったが、細い泥道をどうにか通り抜けその池へのルートを探し出し、次の休日に釣りに行く約束を友達と取り付けた。

 さて日曜日の朝、頭の中で池への道のりをイメージしてみる。ところがどうしても途中で行き詰まり、その先の道とつながらない。記憶の途切れた部分があるのだ。今に思えばそんなことは当たり前で、実際に行ってみたら周りの風景を頼りに思い出すだろうくらいに思えるのだが、その時の私は言いようのない不安に襲われた。時計を見ると待ち合わせまであと2時間。確か片道40~50分だったはず。道を確かめに行って戻っても何とか間に合う。そう思うと、居ても立ってもいられず、「道、確かめてくる」とだけ言い残し自転車に乗って走り出した。訝しげに止めようとする母を尻目に。
 池の近くらしきところまで行くと、はたして頭が真っ白になった。おぼろげな記憶を頼りに細いわき道に入っていくのだがその先に見覚えがない。戻って他の道を探しても心当たりがない。15分ほど近辺をうろうろしたところでタイムオーバーとなり、不安を抱えたまま引き返す羽目になった。家に帰ると時間はギリギリで、すぐに荷物を持って待ち合わせ場所に向かった。結局は地図を見ながら、予定よりも時間をかけてたどり着くことができたのだが、今思い返すとあそこで道を確かめに行った行動は、他人から見たらさぞかし異様なものに写っただろう。

 すべて知っていなくてはならない、間違ってはいけない、失敗してはいけないという禁止律の中で生きていた私にしてみれば、他に選択肢は思いつかなかったのだろう。それにしても窮屈な世界で生きてきたもんだな。

(2010/1/5)