asppe_dr’s blog

私のアスペ的体験を開き直るための記録です。-yahoo blog閉鎖に伴い移転しました-

梗概が書けない

5年に1回は更新しようと努力しているブログです。
忙しいのと、あんまり自分のことを「知って、知って~」と思えないのとで気まぐれにしか書き込めていませんが、それなりに自己満足になってます。

私、実は小説を書くことに関心があって。というか、何本かは書いたことがあって、だけど到底小説家と言えるレベルに達していないということも分かっている状態です。

高校生最後の現国の授業で、「何を書いてもいい」という授業があったんですよ。そのときに思っていたこと-もう忘れたけど、世の中の人間の思考パターンに対する不満だとか反論だとか……面倒くさい高校生ですよね-を瞬きもせずに書いた体験が衝撃的でね。それまで国語って苦手でした。論説ならまだいいけど、小説なんかを持ち出して、「この時の誰々の気持ちは以下のどれか」なんて問題ナンセンスですよね。私、基本的に小説家が世に送り出してしまった作品について、作者があれこれ解説をつけるというのは好きでは無いんです。いや解説じゃないですね。「こう読んでくれ」という要望的なもののことです。出版するという時点で、自分の手の届かないところに行ってしまうのだから、それに注文をつけるなら作品のなかで言っておけよ、という感じです。ましてや第三者が唯一絶対的な解釈を強制するなんて! いや、傲慢なのは分かってるんですけど。

いやいや、話が拡散してしまいましたね。これも私の特性ということでご容赦を。

それで、これまではどうでもいいことということで、私、小説を書きたいと思って実際書いてもいるんですが、たとえば百枚とか三百枚とかの作品を仕上げようと思ったら、やっぱり梗概って必要なのかなと思って。そうしないと細部にこだわって、いつまでも同じとこを書き込んで前に進まないんです。
それで、とりあえず表現とか描写とかは置いといて、大雑把な話の展開を書こうとするんですが、何回頑張っても途中から細部の描写にのめり込んでしまうんですね。どうしたものか……

小説家って、こだわり強い人も多いと思うんですが、何百枚とか千枚を超えるような作品とかって、よく書けるなと感心します。やっぱり、細部にこだわりつつも全体を俯瞰できる能力が不可欠なんでしょうね。

(2013/7/28)