権利意識がもたらしたもの
こないだ外国に行って気付いたこと。
”日本にいたら腹が立つような些細なことに腹が立たない”
言葉が通じず思い通りに意志を伝えられないというのもあるけど、例えば道を歩いていて押しのけられて前に出られた程度の嫌なことがあったとして、日本だったら「失礼な奴だな」と思って、でも何も言わずに半日くらいモヤモヤするんだろうけど、その国では「ああ、こういう文化なんかな」とか「失礼な奴もいるけど、よくわからん土地でトラブるのも厄介だし、この程度いいか」とか思えて、あんまり腹も立たなかった。
思えば外国の影響で国民性が変わってきているのか、私が何十年もかけて大人になって変わってきているのか分からないけど、自分含め周りの人々が権利意識を高めて逆に損しているような気がする。
もちろん人としていろいろな権利はあるけど、権利を主張するには責任もあるはずだし、それ以上に権利を主張することはそれ以上のことは得られないことを認めるということの裏返しなんだと思う。
そんな社会では限定された自己主張のために何かを失ってしまいそうだし、権利の応酬で対立、口論、訴訟なんて道筋が用意されているようで、権利の確立が人生の最重要命題の様な人にはいいけど、もっとのんびりしたい人には世知辛い世の中だと思ってしまう。
今回の体験を通して、適当に流すところと譲れないところを自分で意識してのんびり過ごすことの良さを学んだ気がする。